鉄道旅の記録と近況報告
メルボルンからの鉄道の旅【ジーロン・ベンディゴ・キャッスルメイン】 | 旅blog
というような鉄道旅をして、私はメルボルンや、そこから行ける町へと精一杯観光を楽しんだ。
5か月という長い期間を一つの都市で過ごすのは初めてだった。
カフェや図書館や安いスーパーや、いろいろあったが最後はルームメイトに恵まれたシェアハウスや、英語を勉強することがおもしろいと初めて思わせてくれた語学学校や、いろいろなものに愛着がわいてどうしようもなくなって、しかしせっかくオーストラリアにいるのだから多くのものを見ないといけないという思いでメルボルンを離れたのが、ちょうど一月前だった。
今私は、ファームで季節労働者として新しい生活を送っている。
メルボルンが時折懐かしく感じられるけれど、だからこそ、このワーホリ期間中はメルボルンには戻らないと決めた。
旅人でい続けたいなら、移動するしかない。
ブックタウン・フェスティバル
もう一月も前になってしまったが、メルボルンから電車で行ける小さな町のブックタウン・フェスティバルを訪れた。
オーストラリアで「読書の秋」を満喫!【Clunes Booktown Festival探訪記】 | 旅blog
上記記事には書かなかったが、このイベントでアジア系をほとんど見なかったのは、少し意外だった。
メルボルンには本当に多くの移民がいる。
しかし英語を母語としない移民や第二外国語として勉強する学生には、わざわざ遠くまで英語の古書を探しに出かけるという気は起こらないのかもしれないし、そもそも移民の中には読書より普段の生活だ、という人も多いのかもしれない。
田舎になればなるほど移民や学生の人口が少ないというのも、大きな要因だとは思う。
それでもメルボルンを歩けばこれだけ同じ顔をしたアジアの人々がいるのに、なぜ……という小さな引っかかりは拭えなかった。
オーストラリアの読書文化は、どの人種にも等しく浸透しているものではないのかもしれない。
アートで旅するメルボルン
とっておきの画像を一挙公開、
と言っても過言でないほどお気に入りのストリート・アートやら彫刻やらを詰め込んだのが、以下の二本の記事である。
メルボルンで屋外アートを究める!【ストリート編】 | 旅blog
メルボルンで屋外アートを究める!【光のビーチ・神秘の森編】 | 旅blog
私はアートを自由に楽しめる空間が好きだ。
ふと知らない通りを歩いていて、こういうアートに出会えるメルボルンはとてもおもしろい。
そしてアートの存在に気づくということは、顔を上げて歩いているということであって、私は今崖っぷちのアラサーであっても、前向きに生きているのだと思う。
とにかく私は日本から脱出し、学生の特権を享受しながら、日本にとらわれない生き方を模索している。
自分の中の「日本」のうち、何を捨て何をとっておくかを整理しているような感じであって、ふと会社員時代を思い出すこともあるけれど、こんがらがった思いを清算できる日がいつか来そうな気もしている。
メルボルン三大動物園めぐり
アラサー女一人の動物園めぐりというのが、孤独だと思ったら大間違いである。
私はけっこう動物園が好きであり、シェアハウスから片道2時間も3時間もかけて、サンドイッチとポテチ持参でメルボルンの主要動物園をまわった。
そのときの記録が、以下の記事である。
メルボルン近郊・三大動物園をゆく! 【オーストラリア固有種と出会う旅】 | 旅blog
他社のブログに掲載いただいているため多少表現は抑えたが、実際はピグミー・ポッサムのかわいさにも、食事をするコアラのまるまり具合にも、ライオンの美しさにもひどく興奮してシャッターを切りまくった。
もちろんこれも英語の勉強の一環であり、私はハリモグラとかカワウソとかカモノハシとか英語で言えるようになって、語彙力が向上したのは明らかである。
……使うかどうかはともかく。
(ゴヤ〈裸のマハ〉、もしくはティツィアーノ〈ウルビーノのヴィーナス〉のような艶かしさ)
ゴールド・ラッシュの町
パートナーのKがメルボルンに来たとき、バララットという町へ2泊3日の小旅行をした。
そのときの記録が、以下の文章である。
ゴールド・ラッシュの町へ【オーストラリア、金鉱の歴史をめぐる旅】 | 旅blog
もちろんオーストラリアがパラダイスであるわけではなく、言及した女性首相は女性であるということでアンフェアに非難の対象になったという意見もあるし、ソブリン・ヒルでは男性職員が下劣なセクハラを同僚にしていたと先日新聞に載っていた。
それでも、オーストラリアは日本にないものを持っている。
その一端を記録したいと思った。
サイレント・チェンジ
語学学校のラウンジで、アルゼンチンの同い年の女の子(っていうのもアラサーだしキツくなってきた。女性?)と話した。彼女に
「メルボルンでもマテ茶飲んでる? どこかで買えないかな?」
とたずねたのが、会話のきっかけだった。
マテ茶とはアルゼンチンの国民的な飲み物で、彼の地に旅した際に気に入った、繊維たっぷりのお茶である。
マテ茶から話は広がり、ええ私は南米を旅したことがあって、すっごく気に入って、それでこれで……と、旅について語るときは普段より英語がスラスラ出てくるのはなぜであろうか。
とにかく壊滅的なスピーキング力ながら、話は続いたのだった。
彼女は言った。
「旅をしたいの、一人で。え、あなたは一人旅したの? ウワーオ、ナイス! 一人だと、自分の体験を自分のものにできるでしょ」
彼女はこうも言った。
「旅をして、違ったものを見て、違う環境に行ったら、いろんな見方が広がって、違った人間になるかもしれないでしょ。私の友達がそうなのよ。
だから私も旅をしたいの……」
彼女は鼻ピアスをし、タトゥーを入れた、アルゼンチンにはよくいる、日本にはあまりいないタイプの出で立ちだ。
しかし私はときどき、同じ格好をしたり同じ言葉を話したり、そうしたうわべの共通点よりも、旅人であるということのほうがむしろ、気持ちが通じる要素なのだと感じる。
このときも彼女の言うことは完全に理解でき、通じ合っているのを感じた。
それはコミュニケーションには気持ちが大事だとかそういうことではなくて、彼女の言葉は完全に自分の言葉だと感じられたのだ。
世界一周中にも、韓国人や中国人の同年代の女性と話していて、同じ気持ちになったことがある。
不思議な感情。
言葉にすると陳腐な感じがするけれど、そのたびに胸が熱くなった。
*****
その直後、毎日朝食を食べながら少しずつ読み進めた小田実『何でも見てやろう』(講談社文庫)を読み終わった。
アメリカ留学と貧乏旅行の紀行文で、元祖バックパッカーズ・バイブルである。
このあとがきに小田実が記していた文章が、アルゼンチンの女の子との会話を思い出させた。
《『何でも見てやろう』の旅に出かけていなかったら、私もそんなふうなインテリの一人になっていたに違いない。
……
今の私がそうした私よりかくだんにすぐれていると言うのではない。
ただ、ちがっている、ちがった存在になっている、ということを言いたいのである。
そして、そのちがいは私にとって何よりも重大なのである。》
世界一周から帰った後、人が戦争で理不尽に殺されるのはおかしいとか、人種差別は許せないとか、人は平等だとか、私は自然にそう思うようになった。
思うというより、理解したというか、感じたのかもしれない。
旅しなければたぶん、貧しい人間や差別された人間がいても仕方ない、マイノリティは運が悪かった、くらいの認識のままで生き続けていたと思う。
アルゼンチンの女の子が言っていた「違った人間になる」という現象は、私にも起きているんだろう。それは外からは決して見えず、私もこれまで気づかなかった。
でもその違いは私にとって大事なものだと思った。
(旅ではときどき、見ろと迫る何かに出会う)
メルボルンでの穏やかな日々
メルボルンで学生をやってよかったと思う点は多々あって、それを要約すると、簡単に居場所が見つかるということだと思う。
日々いろいろ悩みもあるけど、メルボルンが私にとって穏やかに過ごせる土地だということが、下記記事の行間から感じていただけることと思う。
私がワーホリ・留学にはメルボルンが向いていると思う3つの理由 | 旅blog