WOR-HOLI NOTE

オーストラリア異文化体験記

ハッピー・サマー・ニュー・イヤー ⑴

新年あけても、さほどおめでたい気分にはならない今日この頃である。

というのも、メルボルンは真夏であり、本日など領事館から注意と水分補給を促すメールがくるほどの猛暑。
私は例のごとく図書館に避難して、本を読んだり予習をしたりしているのであって、正月休みという気がまったくしないのである。

しかし年末年始、2週間にわたる語学学校の夏休みももうすぐ終わる。
ここらで近況報告を始める。

*****

当初、語学学校は1月いっぱいまで、つまり計2か月で卒業するつもりであった。
しかしこの際英語をぐわっと読めるようになってやろうと、大幅延長することを決めた。
三十路でどれだけ外国語を習得できるか、とことんやってやる。

ワーホリビザで通える上限ギリギリまで、学生を続けることになった。

これは一見素晴らしいことのように見えるが、とんでもない。
外は猛暑でも財布は極寒になったことを意味する。
格安語学学校のキャンペーン価格とはいえ、追加で数十万の出費はキリキリ痛い。私は節約をしなければならぬ。

オーストラリアは食費が異様に高い。歩けば牛丼チェーンにあたる日本と異なり、外食すると1000円くらいかかる。
仕方がないので三食自炊、スーパーではオージービーフを素通りし、世界一周時と同様に野菜中心の生活である。

ランチもむろん、自前で用意だ。
学校があるときは前日の夕飯の残りを弁当箱に入れて持参し、学校の給湯室で温めて食べる。

休みの日には、食パンにサラミをはさんで公園でピクニックする。
メルボルンには美しい公園がそこらじゅうにあるので、木陰で噴水を眺めながら食べれば、貧しいけれどもみじめな気持ちにならないのがよい。

衣服についてもしかり。

クリスマスの翌日、12月26日はボクシングデーといい、オーストラリアでは祝日である。
これはボクシングの試合をやる日でもなければ、気に入らない奴を殴り倒してよい日でも決してない。
何かというと、一斉にセールをやる日である。

せっかくなので、この日私は近所の古着屋に行き、半額になったカーディガンとTシャツ2枚を計800円弱で買った。
これで新年から、1週間、毎日違う服を着て学校に通えるようになった(これまでTシャツと下着は3枚ずつ、ズボンは2枚でまわしていた)。

このように、たまに無性に肉を食いたくはなるけれども、けっこう楽しみながら節約生活を続けている。

が、しかし。私はつい、アレを見ると買ってしまうのだ。

⑵につづく。

 

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(大晦日はシェアメイトと一緒に花火を見に行った。インスタ映えしてる?)

 

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虹と難民 ⑵

州立図書館の前で配られたビラには、数日後、同じ場所で、難民の待遇についての演説をすると書いてあった。

その日その時間、図書館の前に行ってみると、難民キャンプで死んだ人々の写真が掲げられていた。

聴衆はさほど多くなかった。
しかし景色に溶け込んでいて、「あ、何か運動をしているな。関わらないようにしよう」と感じるような、浮いた感じもしなかった。

彼らは難民を受け入れないことについて、「これは我々の国家にふさわしくない」と思っている。
日本で同じ問題が起きたら、果たして「難民を日本に! 東京で受け入れよう!」という声が上がるだろうか?

オーストラリアは国家として統一されてからまだ100年そこそこであり、アイデンティティの拠り所となる歴史が浅いという見方もあるし、今はLGBTや難民も含めた多文化主義に、誇りを見いだそうとしているにすぎないのかもしれない。

しかしこの有り様はどうだろう。
私にとって州立図書館の前で見た「虹」と「難民」は、とてもショッキングだった。

*****

私が感じたショックは活動の内容に対してではなく、きっとこのとき、ここが異国だと初めて認識したからだと思う。

メルボルンには中華街も日本食レストランもそこら中にあり、1日に何度も日本語の会話を耳にし、生活水準やスタイルも日本と大きな違いがなく、とりたてて外国という感じがしていなかった。
しかし、「虹」と「難民」を受け入れようとする姿は、強烈に異文化な光景だった。

日本人が日本人としての連帯感を持つのは、血のつながりや人種的な同一性が条件だろう。
だが「他文化を受け入れる」ということも、国民感情になり得るのだ。

ちょうど日本とオーストラリアが赤道をはさんで南と北に位置するように、彼らは日本人とは正反対のメンタリティを持っているのかもしれない……。

 

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(酷い扱いを受けている難民に対してのメッセージ。ミャンマーロヒンギャについても、受け入れを呼びかける声があった)

 

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虹と難民 ⑴

昼過ぎに学校が終わると、私はたいてい州立図書館に出かける。
広い自習机がたくさんある美しい図書館で、その日の復習や課題をすませるのが日課だ。

その図書館の前にはゆるやかな階段状の広場があり、路上ミュージシャン社会運動家らをよく見かける。

そこで先日出くわしたのが、オーストラリア人が問題意識を抱える、「虹」と「難民」だった。

*****

オーストラリアは多数の難民を受け入れており、また多文化主義を掲げる移民の国である。
しかし同国政府は船で入国しようとした難民を、太平洋の島ナウル、マヌスに強制収容し、劣悪な環境下においていたという。

国民には隠されていたこの事実が明らかになり、今大きな話題になっているのだ。

図書館に向かって左側で行われていたのは、この難民の待遇を改善し、オーストラリアへ連れてきて保護せよというものだった。
チョークで地面に書かれていたのは、こんな言葉だ。

WELCOME REFGEES
BRING THE REFGEES HERE

(refgee; 難民)

一方、広場の右側で目をひいたのは「虹色の旗」だ。

LGBTの権利を求める象徴である、大きなレインボーフラッグがかかげられ、デモ行進が始まった。
参加していた若者が、ヒューッと歓声を上げながら通り過ぎていった。

(先日メルボルンの新聞「THE AGE」では「LGBTI」という記述があり、日本では聞きなれない「I」とは何かと思い調べると、「インターセックス(中間的な性)」のことだった。彼らの活動には、もしかすると「I」も含まれているのかもしれない。)

オーストラリアではつい先日、同性婚を認める法改正がなされたばかりだった。

これらの運動がどの程度支持されているのかはわからないのだが、設けられたブースに立ち寄り署名をしていく人々は、決して少なくなかったと思う。


(⑵につづく)

 

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完全なる同意

尊敬できる教師というものに出会える確率は、何パーセントくらいなんだろう?

幸い私はオーストラリアで、そんな教師に出会えた。
語学学校の講師、ポールである。

*****

私の英語力は低くはないが高くもなく、文法は理解できるものの、会話がさっぱりである。

語学学校では、予想より上のクラスに入ってしまって苦労しているのだが、しかし授業はおもしろい。
それは、明るいけれどちょっと渋めのインテリ、ポールの力だと思う。

オーストラリアでは長期休暇は当たり前に使われる権利であり、外国への長期の出張も珍しくないようで、ポールはミャンマーに英語を教えにいったり、日本に数週間旅行に来ていたり、ほかにもアジアの国々での滞在経験がある。

世界一周という経験が私を傲慢にしたのか、私はもう、実際にそこに行った人の発言しか信用できず、「中国って国は◯◯だから……」などと言っている人を見ると「アンタ、中国行ったことあんの?」と言いたくなってしまう。しかしポールの発言は実際に現地を見てのものであり、日々多国籍な生徒を相手にしていることもあって、説得力があるのだ。

彼は授業の中で、今オーストラリアや世界で問題になっている事柄を取り上げることも多い。
環境問題、同性婚、幼児虐待。

オーストラリアを美化せず、ときには現政権への憤りを口にしているのを見るとこう思う。
彼はオーストラリアのスポークスマンではない。

*****

ある日の放課後、私は今オーストラリアで大きな関心が寄せられている難民問題について、ポールに質問した。
その話の流れで、オーストラリアの現在の問題点について話が広がったのだが、レイシズム(人種主義)について彼は問題意識を持っていた。
オーストラリアはかつて「白豪主義」をとっており、とりわけアジア人を排斥した歴史がある。

私は思わず、

「日本にもレイシズムがある。日本人は同じ顔をしたアジア人を見下し白人をあがめる。私は理解できない」

と、たどたどしく言った。
するとポールも言う、

「白人が一番だと言っている人間もいるが、私は決してそうは思わない。どんな人種も、」

『「イークォール(equal)!」』

2人の言葉が重なったとき、私の頭には、世界一周中に出会った人々の顔が浮かんでいた。
ポールの頭には国籍多様な彼の生徒が浮かんでいたに違いない。

白人男性とそんな話をする日がくるなんて、思いもしなかった。

*****

私がオーストラリアの新聞を読んでみたいと言うと、翌日ポールは私に読み終わった新聞をくれた。
私はそれを解読するのを週末のタスクとし、英語と異文化を同時に学ぶ。

今はまだ、議論できるほどの英語力には程遠いが、十分に英語が話せるようになったら、ポールや国籍多様な仲間たちに聞いてみたい。
彼らの目には、この世界はどんなふうにうつっているのかを。

 

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(さっそく本を買ってしまった。クリスマス用のラッピング、こちらは夏なのでスイカ柄)

 

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「ライフ・イズ・ショート」の世界

先日語学学校の授業で、“life”を使った慣用句が話題になった。

教わったのは、以下のようなもの。

“Life is one time offer, use it well.”
(人生は一回しかないから、有効につかえ。意訳、以下同)

“Life is short. Smile while you still have teeth.”
(人生は短い。歯があるうちは笑え。)

“If you love someone, show it.
Life is too short to keep your feelings inside.”
(もし誰かを愛したら、それを示しなさい。
感情を内に秘めておくには、人生はあまりに短い。)

他にも「人生は短いんだから、ルール無用でチャレンジせよ」みたいなのもあって、とにかく今ある生を満喫しなくては、という気持ちになった。

*****

これらの文を、はじめは共感をもって眺めていたのだが、しかしハタと思った。

本当に人生は短いのだろうか?

それは西洋世界独特の考え方であり、全く別の社会では、人生が長い・短いなんて考えもしないんじゃないか?

思えば日本で私は、老後の年金獲得へと向かう直線的な時間の上で、回り道すると元の時間軸には戻れないという恐怖とともに生きていた。
しかし仏教では輪廻転生という概念があるし、時間は直線的に進むのではなく円環しているという概念があるとも本で読んだ。

オーストラリアのアボリジニも、かつてはそんな円環の中にいたのではないだろうか。
自分一人ではなく、祖先、子孫も含めた環の中に生きている人々も、地球上にはけっこういるのかもしれない。

今日できなかった宿題は明日やればいいし、今世でできなかった旅は来世でやればいい。
日々をあわただしく過ごす必要はない。

とはいえ私はまだそんな境地に達しておらず、シルクロードもロシアもアフリカも行ってない、体力あるうちに行かなきゃという焦りは消えない。
「ライフ・イズ・ショート」の世界の住人である。

今生のうちに地球のすみずみまで行き尽くし、来世の私には、太陽系一周という楽しみを残しておこうと思う。

 

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メルボルン中心部の建物。いかにも「ライフ・イズ・ショート」らしい、現代的な香りがする)

 

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私は考える葦である

外国人は、よく肩をすくめるような動作をする。
そのしぐさは日本では見られないものであり、そんな動作を日本人がしているのを見ると、私は無性に腹が立つ。

先日語学学校で、そんな現場を目撃した。
そしてもれなく反感をもった。

無論、他人のことに干渉するつもりはないので、これは私の独り言である。

*****

世界一周中、私はすっかりアジアの国々にシンパシーを抱き、ベトナムラテンアメリカを苦しめたアメリカに反発を感じた。
かつて世界を分割し植民しまくったヨーロッパ諸国にも、距離をおきたい思いがある。

(もちろんそれは国家に対してであって、そこに住む市井の人々への反発ではない。スペインにもポルトガルにもフランスにもいい思い出がある。)

しかし、日本人にはなぜか、白人に憧れ、自分と同じ顔をしたアジア人を下に見る傾向がある。
日本人が外国人、とりわけ白人と話すときに肩をすくめたり目をくるくる動かしたりして相手のペースに合わせているのも、その「日本式白人優越主義」の一端にみえるのだ。

もちろんそのしぐさが本来のその人のキャラクターであったり、「ハイハイあなたの国の話し方に合わせてあげますよ」と割り切ってやっているような人もいる。
私も言葉のハンデをボディーランゲージで補おうと、オーバーリアクション気味になっていると自覚はしている。

が、日本人の中には、無自覚に自分を「白人化」しようとしているようにみえる人も、けっこういる。

*****

私はオーストラリアに英語を学びにきたのであって、白人になりにきたわけではない。

だから私は「白人らしい動作」で「白人らしく英語を話す」のではなく、自分らしいテンポとしぐさで英語を習得したい。
日本語のアクセントが残ってもかまわない。
私は日本で暮らしてきたのだから、当たり前である。

これは決して日本人としての決意じゃない。
ただ、私は私であることを貫きたい。
人種的・文化的な優越などこの世界にはない。
だから私は異文化に迎合しない。

そんなプライドを保ちながら、一人異国で暮らすのは、きっととても難しいことなんだろうけれど。

 

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(州立図書館の前には変な像が乱立している。これは特にお気に入り。このくらい飄々と在りたい)

 

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リ・デザインのはじまり

世界一周から帰国するとき、再び日本の企業で働くのは無理だと思った。
それにできれば日本にもいたくない。
外国にいるときのほうが、私はハッピーである。

そんなことを言うと、

旅行していると他国のいい面ばかりが見えるからそう思うのだ、日本ほど安全で発展した国はないのだ。
それに日本食が世界で一番うまいじゃないか。

とでも諭されそうだが、しかし私にも言い分はある。

私は地震や過労で人が死ぬ日本を「安全」な国だとは思えない。
言論の自由だって怪しいし、女性差別も間近で見たし、ほんとに「発展」しているの? とおおいに疑問を持っている。
それに日本酒も日本食ももちろん好きだが、世界各地の街角で食ったパッタイもタコスもフォーボーも本気でうまいと思った。

住んでみないとわからないのだ。
私にとってどこが安全で、どこが居心地がよい場所なのか。
日本にしか住んだことがないのに「日本が一番!」というのは、ちっとも根拠のない話である。

また、私には海外に「住む」という経験がなく、それは旅人としてのコンプレックスでもある。
外国の表層だけを見て日本と比べているにすぎないんじゃないか。
そんな真面目なことを旅の間にしばしば考えたものだ。

それはともかく、使える制度があるなら行こう、「英語を勉強しています」と言えば格好もつくしということで、赤道を越えてオーストラリアに来たわけである。

*****

「人生をredesignするために来たんでしょ?」

語学学校の講師、ポールがそう言ったとき、私は深くうなずいた。

退職当時、いや、つい最近まで、日本社会から脱落したことを心のどこかで恥じていた。
しかし今は、日本からの逃走者であることをちょっと誇りに思う。

オーストラリア生活がうまくいくのかどうかはわからないし、すでに節約ベジタリアン生活にうんざりしているのだけれど、異国の女学生という身分は、考えてみるとたいへんけっこうである。

誰にはばかることもなく、愉快に過ごす所存だ。

 

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(フェデレーション・スクエア; ここがカモメにつつかれた現場)

 

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