旅と留学・ワーホリの違い
旅とワーホリは、明らかに違う。
メルボルンにきて2か月が経ち、つまり2か月もおとなしく学生をしているわけで、旅に関する本を読むたびに「ああ、今すぐ旅に出たい。ミャンマーに帰りたい」と禁断症状が出そうになっている。
たぶん、メルボルンがさほどawayでなくなって、homeだと感じているのだろう。
しかし刺激がないかといえばそうではなく、語学学校の中でも、日々思うところがある。旅と滞在はそれぞれ違う意味合いがある。
と、いうようなことを、世界一周を振り返りながら(といっても、メキシコのタコスの味が思い出せる程度にはまだ記憶は生々しい)記事にまとめ、「旅blog」にて掲載いただいたので、見ていただければ幸いです。
旅行と留学・ワーホリのちがい ~世界一周からワーホリへ | 旅blog
マイ・パートナー・イン・ジャパン
Kとは一昨年スペイン巡礼中に出会い、南米を共に旅して、そのあいだにパートナーとなった。
今、私は彼を日本においてオーストラリアにいるわけである。
オーストラリアに発つ前、私は彼の地で何かしらつかんで帰りたいと思い、
「大きくなって帰ってくるからね」
とKに言った。すると彼は
「えっ、Bになって帰ってくるの」
と声を弾ませてあらぬ想像をしていたが、それはAのまましぼむ公算が大きいので期待するなと言い置いてきたのが2か月前のことである。
*****
そのKが、メルボルンに来た。
私が野菜中心の生活をしているのを心配したらしく、「肉を食べさせに来た」そうだ。
数日一緒に過ごしたあいだ、レストランでステーキをご馳走してくれたり、スーパーで厚切り肉を買って焼いてくれたりして、メルボルンに来てこんなに贅沢な日々を過ごしたのは初めてだった。
久々に他人と寝食をともにし、私は「一人で生きるほうが楽だ」と吐いたりしたが、ある宿でやっぱりKとなら一緒にいたいと思った。
いつもの旅のように宿で手洗いで洗濯をし、さてどこに干すかと考えたとき、部屋には洗濯物を置けそうな台やハンガーはなかった。
そういうときは洗濯ロープを張るのだが、宿の壁や備品を傷つけず、なおかつ安定して固定できる突起に設置しなければならない。
簡素な部屋で唯一ロープの両端をかけられそうな場所を見つけ、
「窓と椅子だね」
と言うと、Kは当たり前のように
「うん、そう思っとったよ」
と言って、私がシャワーを浴びている間に、私が考えていたより完璧な角度でたるみなくロープを張ってくれていた。
私と暮らせる蓼食う虫はKしかいないと思った。
(宿でKが作ってくれた夕食。え? ノロケ? そうですとも)
私はそれを持ち歩けない
ニュージーランドの首相が、今年産休をとるという記事を読んだ。
37歳の女性首相だという。
フランスだけでなくここオーストラリアの隣国でも、若いリーダーが誕生していたのか。
女性首相だったなんて知らなかったし、その上産休!
なんだか感動した。
世界ではいろんなことが起こっている。
*****
先日Resdingsという本屋でトートバックを買った。
黒地にシンプルな白抜きで、こんな単語が配置されている。
READ
RESIST
REPEAT
贅沢品は買わないと決めていたが、値段はさほど高くないし、書かれた言葉が最高にクールだ。どうしても欲しい。
海外でも日本でも、これからずっと普段使いにしようと決めた。
そこには他にもこんな単語のトートバックがあった。
FEMINIST
こっちも欲しいと思ったけれど、迷った末に棚に戻した。
日本で使う勇気がないから。
ハッピー・サマー・ニュー・イヤー ⑵
節約続きの日々のなか、ついつい財布の紐が緩んでしまうのが、本だ。
この夏休みはさほど遠出をすることはなく、公園→本屋か博物館→図書館→スーパーのパターンで過ごした。
オーストラリアで本を買おうと思うとけっこう値がはるが、バーゲンブックや古本屋、無料のブック・エクスチェンジコーナーを駆使すると費用はかなり抑えられる。
たゆまぬ本屋探索の努力によって、私はそうしたgood・book・spot(勝手に命名)をいくつか発見した。
活字中毒者である私はそうした場所に行くたびに
「今買わなかったらもうなくなるかもしれない、この出会いを逃さず私のモノにしたい」
と肉食女子のような思考になって、この1か月で何冊買ったことであろうか。
おそるおそる数えると、
児童書3冊
紀行文4冊
オーストラリアの歴史5冊
その他2冊
(もちろん全て英語)
昨日も本屋で2冊買ってしまい、その金額は食費10日分と同額であった。
メルボルンにいる間に読み切れるのだろうか。答えはNoである。
現時点で読み終わったのはたった1冊だけなのだ。
これに日本から持ってきた英語の参考書が6冊と文庫・新書が6冊、語学学校のテキストが4冊……。
それもこれもシェアハウスに引っ越し、荷物を部屋においておける環境になったからであるのだが、ブログ書いてる暇があったら本を読み、読み終わった本を友人かブック・エクスチェンジに寄付して、来るべきメルボルン出立に備えたほうがよさそうである。
まして私はバックパッカーとしての矜持を貫くためにバックパックで来ており(スーツケースを2つ持ってきた元ルームメイトからは「クレイジーだ」と言われた)、このままでは移動どころかパッキングも不可能だ。
今日は『くまのプーさん』を読み終えるべく、図書館にこもる予定である。
ということで、私の正月はミカンも餅もないかわりに本に囲まれて幸せであり、日常もそこそこ楽しくやっているという話であった。
(「いやーついつい買っちゃうんでげす」「あんた、どんだけかさばると思ってんのよッ」州立図書館ギャラリーの像が、そう言ってるように見えてならない)
ハッピー・サマー・ニュー・イヤー ⑴
新年あけても、さほどおめでたい気分にはならない今日この頃である。
というのも、メルボルンは真夏であり、本日など領事館から注意と水分補給を促すメールがくるほどの猛暑。
私は例のごとく図書館に避難して、本を読んだり予習をしたりしているのであって、正月休みという気がまったくしないのである。
しかし年末年始、2週間にわたる語学学校の夏休みももうすぐ終わる。
ここらで近況報告を始める。
*****
当初、語学学校は1月いっぱいまで、つまり計2か月で卒業するつもりであった。
しかしこの際英語をぐわっと読めるようになってやろうと、大幅延長することを決めた。
三十路でどれだけ外国語を習得できるか、とことんやってやる。
ワーホリビザで通える上限ギリギリまで、学生を続けることになった。
これは一見素晴らしいことのように見えるが、とんでもない。
外は猛暑でも財布は極寒になったことを意味する。
格安語学学校のキャンペーン価格とはいえ、追加で数十万の出費はキリキリ痛い。私は節約をしなければならぬ。
オーストラリアは食費が異様に高い。歩けば牛丼チェーンにあたる日本と異なり、外食すると1000円くらいかかる。
仕方がないので三食自炊、スーパーではオージービーフを素通りし、世界一周時と同様に野菜中心の生活である。
ランチもむろん、自前で用意だ。
学校があるときは前日の夕飯の残りを弁当箱に入れて持参し、学校の給湯室で温めて食べる。
休みの日には、食パンにサラミをはさんで公園でピクニックする。
メルボルンには美しい公園がそこらじゅうにあるので、木陰で噴水を眺めながら食べれば、貧しいけれどもみじめな気持ちにならないのがよい。
衣服についてもしかり。
クリスマスの翌日、12月26日はボクシングデーといい、オーストラリアでは祝日である。
これはボクシングの試合をやる日でもなければ、気に入らない奴を殴り倒してよい日でも決してない。
何かというと、一斉にセールをやる日である。
せっかくなので、この日私は近所の古着屋に行き、半額になったカーディガンとTシャツ2枚を計800円弱で買った。
これで新年から、1週間、毎日違う服を着て学校に通えるようになった(これまでTシャツと下着は3枚ずつ、ズボンは2枚でまわしていた)。
このように、たまに無性に肉を食いたくはなるけれども、けっこう楽しみながら節約生活を続けている。
が、しかし。私はつい、アレを見ると買ってしまうのだ。
⑵につづく。
(大晦日はシェアメイトと一緒に花火を見に行った。インスタ映えしてる?)
虹と難民 ⑵
州立図書館の前で配られたビラには、数日後、同じ場所で、難民の待遇についての演説をすると書いてあった。
その日その時間、図書館の前に行ってみると、難民キャンプで死んだ人々の写真が掲げられていた。
聴衆はさほど多くなかった。
しかし景色に溶け込んでいて、「あ、何か運動をしているな。関わらないようにしよう」と感じるような、浮いた感じもしなかった。
彼らは難民を受け入れないことについて、「これは我々の国家にふさわしくない」と思っている。
日本で同じ問題が起きたら、果たして「難民を日本に! 東京で受け入れよう!」という声が上がるだろうか?
オーストラリアは国家として統一されてからまだ100年そこそこであり、アイデンティティの拠り所となる歴史が浅いという見方もあるし、今はLGBTや難民も含めた多文化主義に、誇りを見いだそうとしているにすぎないのかもしれない。
しかしこの有り様はどうだろう。
私にとって州立図書館の前で見た「虹」と「難民」は、とてもショッキングだった。
*****
私が感じたショックは活動の内容に対してではなく、きっとこのとき、ここが異国だと初めて認識したからだと思う。
メルボルンには中華街も日本食レストランもそこら中にあり、1日に何度も日本語の会話を耳にし、生活水準やスタイルも日本と大きな違いがなく、とりたてて外国という感じがしていなかった。
しかし、「虹」と「難民」を受け入れようとする姿は、強烈に異文化な光景だった。
日本人が日本人としての連帯感を持つのは、血のつながりや人種的な同一性が条件だろう。
だが「他文化を受け入れる」ということも、国民感情になり得るのだ。
ちょうど日本とオーストラリアが赤道をはさんで南と北に位置するように、彼らは日本人とは正反対のメンタリティを持っているのかもしれない……。
(酷い扱いを受けている難民に対してのメッセージ。ミャンマーのロヒンギャについても、受け入れを呼びかける声があった)
虹と難民 ⑴
昼過ぎに学校が終わると、私はたいてい州立図書館に出かける。
広い自習机がたくさんある美しい図書館で、その日の復習や課題をすませるのが日課だ。
その図書館の前にはゆるやかな階段状の広場があり、路上ミュージシャンや社会運動家らをよく見かける。
そこで先日出くわしたのが、オーストラリア人が問題意識を抱える、「虹」と「難民」だった。
*****
オーストラリアは多数の難民を受け入れており、また多文化主義を掲げる移民の国である。
しかし同国政府は船で入国しようとした難民を、太平洋の島ナウル、マヌスに強制収容し、劣悪な環境下においていたという。
国民には隠されていたこの事実が明らかになり、今大きな話題になっているのだ。
図書館に向かって左側で行われていたのは、この難民の待遇を改善し、オーストラリアへ連れてきて保護せよというものだった。
チョークで地面に書かれていたのは、こんな言葉だ。
WELCOME REFGEES
BRING THE REFGEES HERE
(refgee; 難民)
一方、広場の右側で目をひいたのは「虹色の旗」だ。
LGBTの権利を求める象徴である、大きなレインボーフラッグがかかげられ、デモ行進が始まった。
参加していた若者が、ヒューッと歓声を上げながら通り過ぎていった。
(先日メルボルンの新聞「THE AGE」では「LGBTI」という記述があり、日本では聞きなれない「I」とは何かと思い調べると、「インターセックス(中間的な性)」のことだった。彼らの活動には、もしかすると「I」も含まれているのかもしれない。)
オーストラリアではつい先日、同性婚を認める法改正がなされたばかりだった。
これらの運動がどの程度支持されているのかはわからないのだが、設けられたブースに立ち寄り署名をしていく人々は、決して少なくなかったと思う。
(⑵につづく)