私は考える葦である
外国人は、よく肩をすくめるような動作をする。
そのしぐさは日本では見られないものであり、そんな動作を日本人がしているのを見ると、私は無性に腹が立つ。
先日語学学校で、そんな現場を目撃した。
そしてもれなく反感をもった。
無論、他人のことに干渉するつもりはないので、これは私の独り言である。
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世界一周中、私はすっかりアジアの国々にシンパシーを抱き、ベトナムやラテンアメリカを苦しめたアメリカに反発を感じた。
かつて世界を分割し植民しまくったヨーロッパ諸国にも、距離をおきたい思いがある。
(もちろんそれは国家に対してであって、そこに住む市井の人々への反発ではない。スペインにもポルトガルにもフランスにもいい思い出がある。)
しかし、日本人にはなぜか、白人に憧れ、自分と同じ顔をしたアジア人を下に見る傾向がある。
日本人が外国人、とりわけ白人と話すときに肩をすくめたり目をくるくる動かしたりして相手のペースに合わせているのも、その「日本式白人優越主義」の一端にみえるのだ。
もちろんそのしぐさが本来のその人のキャラクターであったり、「ハイハイあなたの国の話し方に合わせてあげますよ」と割り切ってやっているような人もいる。
私も言葉のハンデをボディーランゲージで補おうと、オーバーリアクション気味になっていると自覚はしている。
が、日本人の中には、無自覚に自分を「白人化」しようとしているようにみえる人も、けっこういる。
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私はオーストラリアに英語を学びにきたのであって、白人になりにきたわけではない。
だから私は「白人らしい動作」で「白人らしく英語を話す」のではなく、自分らしいテンポとしぐさで英語を習得したい。
日本語のアクセントが残ってもかまわない。
私は日本で暮らしてきたのだから、当たり前である。
これは決して日本人としての決意じゃない。
ただ、私は私であることを貫きたい。
人種的・文化的な優越などこの世界にはない。
だから私は異文化に迎合しない。
そんなプライドを保ちながら、一人異国で暮らすのは、きっととても難しいことなんだろうけれど。
(州立図書館の前には変な像が乱立している。これは特にお気に入り。このくらい飄々と在りたい)